義仲様を巡る旅
宮舘涼太 3年ぶり歌舞伎の舞台へ
嬉しいお知らせが舞い込んで来たのは
9月16日の事…
朝起きたら世界が変わってた!
嬉しくて涙…涙…
約3年ぶりの海老蔵さんとの共演
それだけではなくて、海老蔵さんは市川家大名跡團十郎の名を襲名し、市川團十郎として挑む初春歌舞伎公演…まさに大舞台
市川團十郎襲名記念プログラム
『SANEMORI』
10月4日に行われた会見では
3年前に演じた義仲様に加えて、父義賢様も演じる事が海老蔵さんより発表された舘さん
1人2役…
任せて頂ける事…ものすごく素晴らしいことなんだけど驚く舘さんかわいかった(*´艸`)
もうすでに役者の顔つきでスノの舘さんとは顔つきが違ったからこういう所でよく知る舘さんが見れて、ちょっと安心したのを今でもよく覚えてる
さて…そろそろ本題へf(^^;
永遠に語れてしまうから控えねば(笑)
Twitterだとうるさくなってしまうし、私のこだわり(願掛け)まで書き始めたら終わらないのでこちらへ。
本当はもっと早くに行きたかったのだけど忙しかったり、体調不良等もあってこの時期に
でもこの時期はこの時期で山々が赤く(メンカラ😏)彩られる時期なので舘さんを感じて旅するのもいいなぁ…と(←もうこだわり)
今回の旅はーーーーーーーーーー
①義仲館(資料館)
②徳音寺
③旗挙八幡宮
④木曽義仲公館趾
⑤南宮神社
⑥巴淵
⑦義仲様のお墓参り(興禅寺)
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旅順のこだわり
まずは義仲様の生涯を知る所からはじめて、次は徳音寺にて母小枝御前にご挨拶や義仲様・今井様・樋口様・巴御前のお墓参り、次に旗挙八幡宮→南宮神社と義仲様を巡り、SANEMORI当選祈願、次の巴淵では巴御前に思いを馳せ、そして巴御前が持ち帰ったという義仲様の遺髪が納められているお墓へ…と義仲様の出生から最期の時まで生涯を巡る旅順に
①義仲館
まずは義仲様の生涯を知る所から
長野県民とは言っても義仲様について勉強したのは小学生の頃
忘れてる事も多いのでちゃんと知ろう!と。
俳優田中要次さんが義仲様役を演じ、義仲館について教えてくれたり、映像や絵画でその生涯について勉強
映像ではびじゅチューン(Eテレ)で放送されているようなちょっとおもしろい感じで学べたり、基礎知識を学べたり、巴御前や今井様の視点で進むアニメ、そして現代の視点で語られる義仲様の人となり(←これ、おもしろいのが長野県民(正確には徳音寺や興禅寺の住職の方、木曽馬センターの方)が語る義仲像と大津の方(高校生&先生)がイメージする義仲像の違いがインタビューされているという点)そして義仲寺の方のインタビューも聞ける
②徳音寺
義仲館のすぐ近くにあるこのお寺
元々は、義仲様が母小枝御前を弔うために建てた柏原寺が始まりと言われているこのお寺
今は義仲様の像や木曽一族の位牌が安置されている木曽義仲霊廟や母小枝御前をはじめ義仲様・巴御前・今井兼平様・樋口兼光様のお墓が建てられている
~こだわり~
壮大にはなってしまうけど義仲様が生まれなければ舘さんへと今回の歌舞伎へと繋がらないので、まずは母小枝御前に義仲様を生んでくださり…と感謝を。
そして義仲様にはSnow Man宮舘涼太さんが新春歌舞伎公演『SANEMORI』にて義仲様、父義賢様を演じる事をお伝えし、彼を見守っていてくださいとお祈りを
巴御前・今井様・樋口様には義仲様を守ってくださり…と感謝のご挨拶
③旗挙八幡宮
少し車を走らせ旗挙八幡宮へ
ここは義仲様が平家打倒の旗挙げをした地
そしてこの大欅は義仲様の元服(現代でいう成人 義仲様の場合は13歳にして元服)を祝って植えられたとも旗挙をした時に植えられたとも言われている欅。
元は義仲七本欅として木曽の地域に植えられていたが今はここ旗挙八幡宮にしか残っていない貴重な大木
ここでは旗挙げをした所でもあり、戦勝祈願所でもあるという事でSANEMORI当選をお願いしてきました。
④木曽義仲公館趾
今は石碑が立つだけですが、約800年前ここに義仲様がいたんだ…、生活を送っていたんだ…と思ったら感動が。木曽の山々…もしかしたら同じ景色を見ていたかも…(^^)
⑤南宮神社
旗挙八幡宮から少し車を走らせ南宮神社へ
旗挙八幡宮ものどかな所にありましたが南宮神社もまた山の麓という事もあって凛としたような厳かな空気が流れて、どこからか滝の音が…
ここも義仲様が戦勝祈願所として大切にしていた場所であったため、それにあやかってSANEMORI当選を祈願。
本殿にて祈願を済ませたあと、滝の音を便りに散策すると…
旭乃瀧(あさひのたき)という滝が。
圧巻。そして水がとてもきれいでした。
マイナスイオンがたくさんで癒されました。
⑥巴淵
南宮神社から車を走らせること約5分
ここは巴御前が幼少期に遊んだと言われている場所。また、ここに住む龍神様が化身して巴御前となり義仲様を守ったという伝承が残る地でもある。
義仲様と巴御前の関係性については、ただの主と家臣であったとか側室だったとか様々。それでもお慕いする方のために厳しい戦場を共に駆け抜け、最期まで義仲様のおそばにいた女性
幼い頃義仲様や今井様らと野山を駆け回り、馬を乗りこなし、戦においては薙刀を使い、部隊を率いたとても強いお方。
義仲館のアニメにて、こんな会話が…
巴「巴も男に生まれとうございました」
義「女子には女子の戦い方がある。義仲の盾となり戦う覚悟があるのならこの生き地獄共に…」(ニュアンス)
実際にこういう会話がなされたかどうかはわかりませんが…巴御前にものすごく親近感が湧きました。
2020年の末…あの頃から強く持っている宮舘涼太を守りたいという想いを巴御前に重ねてしまって…(激重愛)
舘さんと共にこれからも歩んでいきたい!ずっと守っていきたい!という気持ちがより一層強くなりました。
⑦木曽義仲様のお墓(興禅寺)
巴淵から車を走らせること約15分
本殿にて参拝した後、義仲様がお手植えされた時雨桜(2代目)
の下を通り、
この旅の最重要地…義仲様のお墓へ
ツイにも書きましたが、現在の滋賀で最期の時を迎えた義仲様。そのご遺体は義仲寺(ぎちゅうじ)に埋葬されていて、ここ興禅寺の義仲様のお墓には巴御前が持ち帰ったという遺髪が納められています。
この遺髪…
いよいよ最期の時を覚悟した義仲様が「義仲の最期に女を連れていたとなれば男の恥」ということで最期の時も共にいたいという願う巴御前に「生きて、己が信念のために戦った男がいたことを伝えてほしい」と自らの髪を切り、巴御前に持たせたと言われています。
その遺髪が納められたお墓
義仲様を真ん中に左右には木曽家領主お二方のお墓もあり、このお三方の鎮座する場所だけ空気が違う。
Twitterで「とある場所」と言ってきましたがこの場所の事です。
緊張の対面…
不思議なことに…目の前にあるのは苔むしたお墓なのにまるで義仲様が座ってこちらを見てるような感覚になりました。(例えるなら義仲館の像の目の前に立っているような感覚)
義仲寺にある義仲様のお墓と同じ形のお墓だからなのか…遺髪が納められているからなのか…義仲館の像、人形や霊廟の像を見てきた後だからなのか…義仲様と目が合っているような感覚になりました。
ここでは、Snow Man宮舘涼太さんが新春歌舞伎公演『SANEMORI』にて義仲様、父義賢様を演じる事をお伝えし、舞台の成功を祈願、そして舘さんを舞台をどうか見守っていてください…と、お願いしてきました。
お願いしていると突然風が吹き、落ち葉がヒラヒラと上から舞ってきました。なんだかまるでこの想いが届き、義仲様が応えてくれたような…そんな気がしました。
お参り後はお庭や資料館を拝見
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今回の旅はこれにて終了
ここまで読んでくださった方がいるかどうかわかりませんが…長々とお付き合いくださりありがとうございました!
今回の旅は始まりに過ぎません。
義仲様を巡る旅はこれからも続けていきたいと思います!
そして舘さんへの愛も叫びつづけます!
SANEMORI
どうかこの目でこの心で舘さんのお姿を見ることができますように
舘担をはじめ「見たい」と願う方が1人でも多く見る事ができますように